なにもできないぼくにできること
じぶんは、なにもできないんじゃないか。
そう思った時、ぼくが今まで生きてきた人生はなんだったのかと虚しくなる。
ぼくは春からずっとこの思いに苦しんできた。このブログを読んでいるみなさんも、そう思う時はないだろうか。
もし、あなたが共感できるならこの続きを読んでほしい。
共感できない人も、こんな弱い人間がいるんだなと笑ってほしい。
ぼくはなにもできない。
このことに気づいたのは今年の6月くらいだったと思う。
ぼくは東大の2年生で、進学選択というものを控えていた。
進学選択とは、1、2年に在籍する教養学部から専攻を決めて学部への進学を決定する東大の一大イベントである。例えば、法律を学びたい人は法学部に、工学を学びたい人は工学部に行くことを決める。といった感じだ。
ぼくは東大の文科三類というところに在籍している。文科三類からは文学部へ進学する人が多い。
とはいえ、進学選択はかなり融通がきくもので、文系から理系に変わったり、理系から文系に変わったりすることもできる。ぼくは文系から理系に移ろうとしている人の中の1人だ。
進学選択なんてまだ先よね〜なんて浮かれた気分で漫然と過ごしていた時。ぼくは現実を突きつけられることになる。
そもそも、じぶんのやりたいことが分からないのだった。
ぼくは「あれもやりたいこれもやりたい」と駄々っ子のように色んなことをやってきた。はっきり言うと、意思決定が全くできていなかったのだ。
好きなことはナチス・ドイツの研究だし社会学にも興味がある…でも都市工学もやりたい!みたいな感じで、「専攻」を決められる状態ではなかった。
実はこれには理由がある。
ぼくがオールマイティを目指していたからだ。つまり、あれこれやって満遍なく知識を身につけたら、俺最強じゃね?みたいな考え方をしていた。
ドラゴンクエストをやっていた時、旅芸人のスキルだけでなくバトルマスターや賢者のスキルも磨いてキャラを強化していたように、多方面に強くなれば最強になれると思っていた。
だが、現実はドラゴンクエストではない。多方面に強いジェネラリストは「究極の中途半端」なのではないかと思うようになった。
今の自分だって、ジェネラリストと呼べるだろう。歴史も勉強してきたし、ビジネスライティングもやった。社会学もやった。
だが、そんな自分がどうしても答えられない問いがあった。それが
「あなたに、何ができるんですか?」
答えるとするならば、
「わたしは、なにもできません。」
と答えるしかないだろう。
ジェネラリストには、これができる!という特定の強みがないように感じた。これでは効果的な問題解決などできないだろう。
「お前東大に入ったのになにもできねえのww」と思う人は盛大にぼくのことを笑ってくれたら良いのだが、その際に自分のことも振り返ってみてほしい。
本当に、今のあなたに何かできるんですか?
あくまで憶測なのだけれど、なにもできない東大生結構多いんじゃないだろうか。いや、東大生にとどまらず大学生全般に言えることなのかもしれない。
なにもできないから、潜在的に良い人材も就活市場で安く買い叩かれているのではないのだろうか。少し話がずれてしまった。元に戻そう。
なにもできないぼくは、ぼく自身が怖くなった。
だけれど、これは転機でもあった。
なにもできないのなら、いまからなにをできるようにするかしっかり考えれば良いじゃない。
と思ってぼくは必死に考えた。
そうしてたどり着いた結論(専攻)がランドスケープ・アーキテクチュアだった。
なにもできないぼくだったから、なにをできるようにしたいかを必死に考えて選択することができた。
こんなブレブレな生き方をするつもりはなかったし、これは美談ではないと思う。周囲の人には反面教師にしてもらえたら少しは悩んだ甲斐があるのかなあと思う。
元々は国際協力とかがやりたかったんだけどね。色々あってそれも放棄してしまった。色々やりたいことを吟味しているうちに、
なにもできない自分が出来上がっていた。
だからこそ、これからは専攻を極めたいと思うし、新たな学問領域を開拓して行きたいと思う。
なにかをできる自分になるために。