東京大学珈琲同好会の向かう先。

昨年の6月、僕はコーヒーの魅力を再発見した。雨上がりの水曜日の夜、代々木公園駅近くのFuglen Tokyoというカフェでのことだった。

 

今年4月。僕はコーヒーの魅力を再発見した。肌寒さの残る4月2日。100人を超えた東京大学珈琲同好会の新歓LINEが無口ながらも雄弁な語り手であった。

 

東大はコーヒーカルチャーが根づきにくい場所なのではないか。そう僕は思っていた。

東大で立ち上げられたコーヒーサークルはあまり繁栄することなく活動を停止させている。だからこそ、珈琲同好会を立ち上げるのには少しの勇気と思い切りが必要だった。

 

人は集まってくれた。1月に発足させると宣言した同好会。同クラ・友達・出会って間もない知人・そして全く見知らぬ人たち。それぞれの思いは違えどまずは10人集めることができた。何の見返りもなかったが、新歓に懸命に協力してくれた。そのおかげで入会希望者が会員数の10倍の100名を超えるに至った。

 

サークルオリエンテーションでは、switch coffee tokyoのコーヒーを使わせていただいた。これも無理を言って、一番大きなポットをわざわざ駒場に近い店舗に運んでもらい、「なるべく特徴の違う豆で」という厚かましい注文にも応えていただいた。

サークル活動ならば、とオーナーの方が快諾してくださったらしい。(僕はオーナーの方とお会いしたことはない)

また、新歓イベントではglitch coffee&roastersの豆を使わせていただいた。こちらも、サークル活動ならば喜んで協力させてもらいますとおっしゃっていただき、カッピングのレクチャーから豆の提供まで手厚くサポートしていただくことができた。

本当にサードウェーブコーヒー店のご好意には感謝してもしきれない。

 

そして、コーヒーが様々な人を結びつけることもよくわかった。

現在、入会申請は東大だけではなく多くの他大の方々からもいただいており、同好会が色々な人々の交流の場となろうとしている。もともとコーヒーが好きだった人もいればサーオリで初めてコーヒーを好きになった人もいる。色々な人が集まる場で良いのだと思っているし、僕自身多様性を大切にしていきたいと考えている。

 

珈琲同好会の目指すべき先は3つあると僕は思っている。

 

まずは、コーヒーを「自分ゴト」にしてもらうこと

次に、コーヒーカルチャーを自ら発信していくこと

最後に、コーヒーに関わる人たちが往来する結節点となること

 

・コーヒーを「自分ゴト」にしてもらう

これは本当に大切なことだと思う。一人一人の楽しみ方が許容されるべきだし、コーヒーの飲み方や楽しみ方に「べき論」は存在しない。スペシャルティであるべきとか深煎りであるべきとか浅煎りであるべきとか。一人一人が楽しめる向き合い方を見つけてもらえれば何よりだと思うし、その楽しみ方を広めていってもらいたい。

 

・コーヒーカルチャーを自ら発信していく

楽しみ方を見つけられたらそれをぜひとも発信していってほしい。メディアを作るとか作らないとかいう話も持ち上がっているのだが、とにかく珈琲同好会はただコーヒーを飲むことで完結するものだと僕は思っていない。コーヒーを飲むことで完結するならば団体行動を取るより1人で行動する方を僕は好む。広めていってもらいたいし、よりその楽しみを追求してもらいたいと思っている。例えば、パンが好きな人がいたとして、コーヒーによく合うパンを作りたいと思ったら同好会としてパンを作るプロジェクトを始動させてもらいたいと思っている。

 

・コーヒーに関わる人たちが往来する結節点となる

コーヒーに関する知識やコーヒーを楽しむ人たちが集積する場所になれば良いと思う。同好会は学祭だけでなく一般のイベントにも参加予定なので、そうしたところから関わりを広げて様々な人々に接触していきたいと考えている。「みかん」と言えば東大みかん愛好会が有名なように、「コーヒー」と言えば東大珈琲同好会と呼ばれるようになる日が来ればなあなんて欲も少しある。笑

 

とまあごちゃごちゃと書いたが、入会希望の方々はここに書いたことなんてガン無視で入ってもらっても構わない。代表がただ自分の考えを述べているだけだから。

 

さて、少しでも興味のある人には入っていただければと思っています。

春の入会期間は4月末までです。個別にご連絡いただければ入会資料とかフォームとか送ります。

しばらく入会募集を停止するので、今のうちに入っておいてもらえると良いかなと思います。

 

今飲んでいる黒ビールが尽きるまで筆を走らせる〜愛するとはなんなのだろうか〜

今、僕は近所のスーパーで買ってきたTOKYO BLACKという黒ビールの封を開け、一口ずつ飲んでいる。これがうまい。ビールの味を知っている訳ではないが、これは3本の指に入るほどうまい。ややフルーティな感じがして口当たりが良い。

 

バックグラウンドミュージックはflumpool。僕が中学生の頃から好きなバンドで、特に好きな曲はtwo of us、ベガ、イイじゃない?、WINNERといったところ。聴いたことの無い人は君に届け、花になれ、星に願いをくらいは聴いておいたほうが良い。必須教養だと思う。

 

さて、なぜ僕はflumpoolが好きなのか。それは彼らの歌う恋や愛があまりにまっすぐで美しいものだからだと思う。エンターテイメントとして楽しむ分には泥沼な恋愛が好きなのだが、どうも自分ごととして捉えるとなるとそういうまっすぐな恋に憧れる部分もあるみたいだ。少女漫画に憧れる女子高校生みたいでやや気恥ずかしさも感じる。

 

flumpoolを聴くと昔の自分の恋を思い出す。恋愛の仕方などほとんど知らなかったが、それでも誰かを好きだという気持ちは本物で、何度か告白もした。うまくいったこともあればうまくいかなかったこともあった。泥沼にはまってしまったこともあるが、概ね良い思い出だし、夢のような時間だったのかもしれない。

 

高校時代に初めて恋をした。それは実らなかった。その後も高校の間に何度か人を好きになったことはあるが、告白まで至ることは少なかった。その頃の自分は恋愛というものにあまり思い入れがなかったのだと思う。「他人に興味がない」という言い訳を繰り返していた記憶がある。この発言は言い訳でしかなく、真ではない。僕は他人に興味がないわけではなく、それどころかむしろ他人への興味に突き動かされることが多い。

 

ルソーは『言語起源論』のなかで、「欲求が人を引き離し、情念が人を近づける」といった。これは賛成できる部分もあればそうでない部分もあるが、情念が人を近づけるというのは真だと思う。他人への興味により、その人と関わりたい・その人と遊びたい・その人と深い関係に至りたいという生活上「不必要な」情念が湧いてくる。そしてルソーはこう続けた。「情念を伝えるために言語というものが生まれた」のだと。

 

情念を伝えるものが言語ならば、愛は言語というものを通じて伝えられる。実際に告白する際には、愛は言語という形態によってこの世に生を受ける。むしろそれ以外の存在証明はないのだと僕は思う。言語を介さなければ、愛は生まれ得ない。

 

では、この愛とはなんなのだろうか。僕は最近ずっとこのことを考え続けている。

 

愛とはセックスだろうか。愛するとは与えることだとエーリッヒ・フロムは自著『愛するということ』で述べた。彼はその中でセックスについて言及しているが、愛すなわちセックスということではないと思う。この辺りの彼の思想については十分な理解が至っているわけではないため、さらに理解を深める必要があると思う。

 

果たして愛とはなんなのか。与えることと受け入れることだというフロムの主張は一理あると考えている。自分自身を曝け出し、ありのままの相手を受け入れることが愛なのかもしれない。これができなければ愛は成立しないのかもしれない。しかしながら、無償の愛というものも存在するのは確かだろう。「相手がありのままの自分を曝け出すか出さないかは問題ではなく、自分自身をさらけ出し続けること」ということが無償の愛だと考えている。高校時代の僕は非常に歪んだ人間であったため、「無償の愛など存在せず、人は皆その対価を求め続けている」と考えていた。

 

これは非常に幼稚な思考だったと今では考えている。何かの対価がなければ、何かを与えることができない人間というのは非常に貧しい人間なのではないだろうか。精神的な貧しさが見て取れる。だからこそ僕はいう。無償の愛は存在するだろうと。

 

話を本筋に戻そう。愛とは何か。未熟な僕が今早急な結論を下すとするならば、

相手を慈しみ、尊重し、ありのままの相手を受け入れつつ自分を曝け出し、かつそれが一時的な激情によるものでないということなのかもしれない。

 

明確な定義などできない。それで良いと思う。人生経験を積んでからまた再び考えれば良いのだろう。だからこそ数千年にわたって議論され続けてきたテーマなのだと思う。

黒ビールが尽きてしまった。今日はここまで。

みんなもヤッホーブルーイングのTOKYO BLACKを飲もう。肴はチーズが良いと思う。

 

 

コーヒーとバリスタと僕。

こんばんは。この記事を書き始めたのが夜中2時。一体何時に書き終わるのやらという思いがあるのですが、最近の自分についてお話ししたいなと。

 

 

なぜ僕がコーヒーを好きになったのか、なぜバリスタを目指したいなどと突如言い出したのかについてもこのブログで触れています。

 

生き方

 

今年の6月ごろから僕はずっと悩み続けている。進振りで悩んだことについては、前回のブログで書いたが、それ以外のことでも色々と悩んでいる。

 

 

yasuharuohno.hatenablog.com

 

 

 

まあ一つ一つの悩みを列挙していくのはナンセンスだと思うので、個別具体的には書かないことにするが、とにかく悩んでいた。「死」を一つの選択肢に入れるくらいには悩んでいた。「死」について悩んだ話は後ほどする予定だ。

 

 

 

さて、生き方と銘打ったのは、中でも生き方について悩んだということをお話ししたいからだ。

 

「東大生になったからには、日本を背負え」ということを言われることがたまにあるのだが、うるせえとしか思わない。(この考え方自体すごく時代錯誤的だ)

 

なんで東大に入ったという理由だけで自己犠牲しなきゃならないんだと。

それなら東大に入らなきゃよかったと思うくらいである。

 

「将来性を考えて行動した方が良い」ということをたまに耳にする。最近よく言われていることだし、実際僕もそう思う。

 

だが、やはりその根底には「好き」や「興味」がなければ行動はできないと思う。

将来性を考えれば、バリスタになる道は最適解ではないだろう。

だが、今将来性があると言われている分野や学問に微塵の興味のない僕が無理して手を出しても挫折するだけだろう。

 

それに、将来性将来性ばかり言って自分の意思を尊重しない人間はなんなんだと思う

将来性がないからという理由でその選択肢は間違いだという言説もおかしいだろう。将来性という言葉にどれほど自由を奪われなければならないのか。

 

生き方に正解などなく、各人の生き方は自己満足でしかないのだから、批判をするのはお門違いなのではないかと僕は思う。各人の生き方を尊重すればいいじゃないか。

 

 

「死」

死にたいと思ったことがある人は何人くらいいるのだろうか。

僕は自殺未遂を何度も繰り返した人と会ったことがあるが、その人に言われたことで印象に残っているものがある。

 

「東大生だと、死にたいとか思ったことないでしょ?」

 

その人と会った時の僕は「うん」と答えた。今なら「いいえ」と答える。

 

僕は夏頃本当に死にたかった。

 

Q:なぜ死にたいと思ったか?

 

A:人生の意義など後付けでしかなく、所詮僕は替えがきく歯車の一つなのだから、僕が死んでも他の東大生が日本を背負ってくれます。だから僕は自分の存在意義が見出せなくなり、死んでも別に良いのではないかと思ったからです。

 

これが夏頃の僕の答えである。

 

この答えには致命的な欠陥があることをこれからお話ししたい。

 

この答えは「君の代わりは誰一人としていないが、上位互換が出回っている」という考え方にある程度基づいたものである。それは真なのかもしれないし、真ではないのかもしれない。なぜか。

 

そもそも人を評価する基準はあまりにも多岐にわたるため、それらすべてを数値化して個人と個人を比較することはまず不可能であると考えられるからだ。一部のスキルを抽出して議論することは可能だろう。たとえば、僕と他の東大生を文章力という点で比較することは可能かもしれない。そして、その人が僕より文章が上手ければ、文章力という点でその人は僕の上位互換と言える。

 

だが、それだけでその人が僕の上位互換だというのはあまりに軽率すぎないか?

 

僕の回答に戻ろう。人生の意義など後付けでしかない。確かにそうだと思う。だが、後付けでダメな理由は何かあるのだろうか?

 

替えがきく歯車の一つ。これも必ずしも真とは言えない。例えば僕の親にとって僕は唯一無二の子供。替えはきかないわけである。また、僕の友達を例にとってみる。友達なんて替えがきくと思うかもしれないが、本当に腹を割って話ができる友達は替えがきく部品だろうか?この問いにそうだと答えられる人はとても悲しい人生を送ってきたのではないかと邪推してしまう。

 

これが死を選ぶ直接的な原因にはなり得ないと今では思うのである。

歯車だから、他の東大生がちゃんとやってくれるから、死んでいいというのは極めて軽率なように感じてしまう。

 

余談だが、数日前に母親から『生きるって、なに?』という本が送られてきた。

最近流行っているらしいが、僕は名前を知らなかった。

 

おそらく死にたい死にたいと言っていた僕を心配して送ってきたのだと考えているが、その本を読んでやはり「死」を選ばなくてよかったと感じた。

 

内容が気になる方はぜひお手に取ってもらいたいが、ざっくりとこの本を読んで感じたことを以下に記そう。

 

「どんな人であっても、人と人との連関の中に生きるという運命からは逃れられず、自分は他者に対して影響を与える一方他者も自分に影響を与えている」

 

仮に、自分が明日死ぬとして、この連関はどう変わるのか考えてみたい。

おそらく何も変わらないように見えて、大きく変わるのだろう。

 

マクロな視点で見ると何も変わらない。僕の祖父が亡くなった時、祖父という自分に大きく影響を与えた人間が死んだにもかかわらず、世界は何も変わっていないことに深い悲しみを覚えたものだ。

 

だが、この実例に示されるように、ミクロな連関は大きく変わる。様々な可能性が潰える。もし今祖父が生きていればどうなっていたのか?という「確率的にはありえたもの」が全くなくなってしまう。人が一人死ぬということは大きなことなのだと僕は思う。

 

そんなこんなわけで、まだ死ぬわけにはいかないと感じた。

病院通いの老後はできるだけ短くして死にたいとは思うが、今すぐ死ぬのはごめんだ。

 

 

コーヒー

どうして最近僕がコーヒーに凝り始めたのかと思う人はまあまあいるらしい。

きっかけは6月末の水曜日だった。

 

精神的に疲弊しきっていた僕は、一度だけ行って居心地が良いと感じたFuglen Tokyoというカフェに行った。

 

Fuglen Tokyoとはノルウェーオスロ発のエスプレッソバーだ。

現在、オスロと代々木公園と浅草の3店舗しかない。

ヴィンテージの家具や木製のオブジェクトが配置された室内は居心地がよく、店内に流れるカントリーミュージックが心を癒してくれる。

昼間はカフェタイムということで、コーヒーやパンを提供している。

夜になるとバータイムになり、カクテルやコーヒーを楽しむことができる。

 

疲れ切った僕は少しリラックスしようと考えていた。

何も考えずに僕はバーカウンターに座った。時刻は23時ごろだったから、すでにバータイムになっていた。

 

その時バーカウンターに立っていたのは、割といかつい感じのバーテンダーの方だった。一人でゆっくりとしたいなあ、話しかけられるのは嫌だなあと思っていた。

 

注文したモクテルが届き、(お金もないので)その一杯をちびちびと飲んでいた。

そんな時、そのバーテンダーの方が僕に話しかけてきた。

 

見た目は正直怖かったが、話してみると実に物腰柔らかな方だった。

何度か他愛もない会話を交わすうちに、自分についての色々なことをその方に語っていた。

 

ドイツに留学したいとか、デザインがやりたいとか色々なことを。東大生だと言うつもりも毛頭なかったのだが、いつの間にか東大生だということも言っていたし、大学の話も結構した。

 

その方は高校卒業後に5年ほどニューヨークに行っていたらしい。そこでの体験談や周りにどういう日本人がいたかなど色々聞かせてもらった。留学には目的意識が必要だよねと語っていた。

というのも、語学留学をしにきたのに、日本人向けのキャバクラでアルバイトするうちに学校にも行かなくなってビザは切れるし家には帰れないしという人が周りにいたからだそうだ。

 

何か物事をするのに必要なのは、目的意識と危機感だよね」そう語っていた。

 

留学の例で言えば、何を学ぶかという目的意識。親の金で留学しているからにはしっかりと勉強しなければならないという危機感。もちろん、親のために勉強するというのはおかしいことだが、「勉強させてもらっている」ということは頭に留めておかなければならないことだと思う。

 

それまで、「大学の勉強なんて」と言っていた僕だったが、その方の言葉を聞いて反省し、大学の勉強にも真面目に取り組むようにしている。

 

だいぶ話が逸れてしまったが、ここから本筋に戻していく。

そのバーテンダーの方とお話をして非常に胸が軽くなった。

結局、2時間くらい話して深夜1時に店を出た。自己紹介もしてがっちり握手もして帰った。それ以来、僕はFuglenのバータイムの常連になっている。

 

 

僕は驚いた。一人のバーテンダーにここまで心を動かされるとは。

僕は驚いた。飲み物(その時はモクテルだったが)を介してここまで会話が弾むとは。

僕は驚いた。カフェという空間の居心地の良さに。

 

また、Fuglenはコーヒーも有名なので、カフェタイムに行ってコーヒーも飲んでみようと思った。そして実際に足を運んで飲んだ。

これがとても美味しいのだ。それ以来、Fuglenだけでなく、他のコーヒー店にも足繁く通っている。ちなみに僕のおすすめはFuglenの他に神保町のGlitchと人形町のunison tailorだ。

 

どのコーヒー店もそれぞれの個性があってとても美味しい。

「コーヒーって、豆によってここまで個性が違うんだ。こんなに美味しいんだ」と感じるようになった。

 

それだけじゃない。

コーヒー店には信じられないほど多様な人が集まっている。外国人や観光客、サラリーマンに若い女性。年配の方がいるかと思えば学生もいる。そして、各々が楽しい時間を過ごしている。

 

また、僕がコーヒー店に行く楽しみの一つは「バリスタの方とコーヒーについて語らう」ことなのだ。

 

最近は赤坂のGlitch coffee brewedのバリスタの方と仲良くなった。

やはりコーヒーの話をするのはとても楽しい。ご丁寧にオススメのハンドドリップのやり方まで教えていただいた。

 

そこから、僕はカフェで行われる人のインタラクションに興味を抱いた。

これを研究したいがために、今年の冬はノルウェーに行く予定だし、来年からはバリスタとして働くつもりだ。

 

 

あの時、Fuglenに行っていなかったら、コーヒーに興味を抱くこともなかっただろう。

今の自分はいなかったかもしれない。

 

これからの僕

 

 近い話からしていこう。

 

1:五月祭にコーヒーを出店します

 

来月ごろから大々的に広報も行っていこうと考えている。

 

こだわりとしては、

  • 「素材」本来の風味を活かす
  • 会話を重視する

ということを前面に押し出して行く予定だ。

「コーヒーは嗜好品」という考えの下、価値あるコーヒーを一杯一杯ハンドドリップで提供する。

そして、バリスタとお客さん、お客さん同士の会話を重視して行く予定だ。どうすれば会話が自然に生まれるかなど真剣に考えていきたい。

 

2:来年秋から休学します

 

五月祭のコーヒー出店は五月祭で完結する気は毛頭ない。

その後、「新たなカフェのあり方を模索する」ということを中心に活動を続けて行く予定だ。

 

そうした、会話を自然に生むような場所のデザイン・コーヒーを通じたコミュニティデザインを行うべく少し活動しようと思っている。

 

そのためにしばらく休学するつもりだ。

休学中にはバリスタとして働くこと以外にも色々と勉強をして大学に戻りたい。

 

 

最後になるが、本当にここまで読んでくださった方には頭が上がらない。

4500字を超える長文を読んでいただいたことに感謝するばかりだ。

 

僕は周りに何と言われようとひたすら前に進んで行く。

黙って見守っていただけると本当に嬉しいです。

 

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

なにもできないぼくにできること

じぶんは、なにもできないんじゃないか。


そう思った時、ぼくが今まで生きてきた人生はなんだったのかと虚しくなる。


ぼくは春からずっとこの思いに苦しんできた。このブログを読んでいるみなさんも、そう思う時はないだろうか。


もし、あなたが共感できるならこの続きを読んでほしい。

共感できない人も、こんな弱い人間がいるんだなと笑ってほしい。


ぼくはなにもできない。





このことに気づいたのは今年の6月くらいだったと思う。


ぼくは東大の2年生で、進学選択というものを控えていた。


進学選択とは、1、2年に在籍する教養学部から専攻を決めて学部への進学を決定する東大の一大イベントである。例えば、法律を学びたい人は法学部に、工学を学びたい人は工学部に行くことを決める。といった感じだ。


ぼくは東大の文科三類というところに在籍している。文科三類からは文学部へ進学する人が多い。


とはいえ、進学選択はかなり融通がきくもので、文系から理系に変わったり、理系から文系に変わったりすることもできる。ぼくは文系から理系に移ろうとしている人の中の1人だ。


進学選択なんてまだ先よね〜なんて浮かれた気分で漫然と過ごしていた時。ぼくは現実を突きつけられることになる。


そもそも、じぶんのやりたいことが分からないのだった。


ぼくは「あれもやりたいこれもやりたい」と駄々っ子のように色んなことをやってきた。はっきり言うと、意思決定が全くできていなかったのだ。


好きなことはナチス・ドイツの研究だし社会学にも興味がある…でも都市工学もやりたい!みたいな感じで、「専攻」を決められる状態ではなかった。


実はこれには理由がある。


ぼくがオールマイティを目指していたからだ。つまり、あれこれやって満遍なく知識を身につけたら、俺最強じゃね?みたいな考え方をしていた。


ドラゴンクエストをやっていた時、旅芸人のスキルだけでなくバトルマスターや賢者のスキルも磨いてキャラを強化していたように、多方面に強くなれば最強になれると思っていた。


だが、現実はドラゴンクエストではない。多方面に強いジェネラリストは「究極の中途半端」なのではないかと思うようになった。


今の自分だって、ジェネラリストと呼べるだろう。歴史も勉強してきたし、ビジネスライティングもやった。社会学もやった。


だが、そんな自分がどうしても答えられない問いがあった。それが



「あなたに、何ができるんですか?」



答えるとするならば、



「わたしは、なにもできません。」



と答えるしかないだろう。


ジェネラリストには、これができる!という特定の強みがないように感じた。これでは効果的な問題解決などできないだろう。



「お前東大に入ったのになにもできねえのww」と思う人は盛大にぼくのことを笑ってくれたら良いのだが、その際に自分のことも振り返ってみてほしい。



本当に、今のあなたに何かできるんですか?



あくまで憶測なのだけれど、なにもできない東大生結構多いんじゃないだろうか。いや、東大生にとどまらず大学生全般に言えることなのかもしれない。


なにもできないから、潜在的に良い人材も就活市場で安く買い叩かれているのではないのだろうか。少し話がずれてしまった。元に戻そう。


なにもできないぼくは、ぼく自身が怖くなった。


だけれど、これは転機でもあった。


なにもできないのなら、いまからなにをできるようにするかしっかり考えれば良いじゃない。


と思ってぼくは必死に考えた。

そうしてたどり着いた結論(専攻)がランドスケープ・アーキテクチュアだった。


なにもできないぼくだったから、なにをできるようにしたいかを必死に考えて選択することができた。


こんなブレブレな生き方をするつもりはなかったし、これは美談ではないと思う。周囲の人には反面教師にしてもらえたら少しは悩んだ甲斐があるのかなあと思う。


元々は国際協力とかがやりたかったんだけどね。色々あってそれも放棄してしまった。色々やりたいことを吟味しているうちに、


なにもできない自分が出来上がっていた。




だからこそ、これからは専攻を極めたいと思うし、新たな学問領域を開拓して行きたいと思う。



なにかをできる自分になるために。